「本物だけをみなさい」という教え

小さい頃、私のことを可愛がってくれた伯父がいました。

伯父は、飲食店数店舗と骨董屋を営んでいました。骨董屋が住居を兼ねていたので、私はそこによく遊びにいっていました。伯父は、おこづかいをくれたり、缶ジュースをくれたりして、それも楽しみで遊びに行っていた気がします。いとこの中でも、特に私を可愛がってくれていました。

骨董屋の玄関を入ると、ツボや食器や掛け軸やランプや刀や、本当に雑多なものが飾ってあります。時代を経た古い品々から発せられる独特の雰囲気は、怖いような優しいような、なんとも表現しがたいものがあります。私にとって、伯父の外見イメージは、あごひげがあって、伊藤博文を細くして、目を少し大きくしたような人なのですが、一見怖そうな伯父の雰囲気とマッチしていて、不思議と落ち着く空間でした。

その伯父は、よく私に「本物だけをみなさい」と言っていました。「本物だけをみていたら、偽物や出来の悪いものが自然とわかるようになる」と。骨董屋をやっていた伯父だからこその、重みのある言葉ですね。当時小学生だった私は「ふうん。そんなものかなぁ」と思っていました。しかし、大人になって、この言葉をよく思い出すのです。

私の思考のクセのようなものに「この出来事の本質は何か」と、本質や核となるものを考えようとする傾向があります。これは、きっと伯父の言葉が私の中で咀嚼、消化されて、このような形になっていきているのだと思います。

本質を追究したくなるのは、よいことのように思えますが、しんどいと感じることも多々あります。最近は、うまくバランスが取れるようになってはきましたが。

私が日常生活で、服の素材やデザイン、食器の質感、食べものの質、そんな細かいところにこだわりをもって選んでしまうのには、きっと伯父の影響があるのだなぁと、しみじみ伯父のことを思い出している今日この頃です。

投稿者プロフィール

赤星由美子
赤星由美子
株式会社ソシエタス代表取締役。調理師/食品衛生責任者/出産ドゥーラ・産後ドゥーラ/発酵プロフェッショナル。さまざまな情報を発信していきます。