311から7年 あの日の記憶といま思うこと

2011年3月11日の14:46。

私は東京にいて、生後2か月の娘と出かけていました。ご飯を食べ終わって、友人とのんびりお茶していたところでした。グラグラっと揺れたので、とりあえず近くにあったガスファンヒーターを消し、ドアを開けて逃げ道を確保し、赤ちゃんを抱っこして外に出ました。ここまでは冷静でした。

それから、何度も揺れる地面に、これはただごとではないと理解し、荷物を置いていたところが倒壊する心配がなさそうなので、10分後くらいに身支度し、バス停へ。「このコンビニの前はガラスが割れたら危険、この激しく揺れている電信柱が倒れるかもしれないから離れたい、このビルは新しそうだから大丈夫か? この道で安全なところはなさそう」などと考えながらバスを待ちます。この時は、地震発生直後だったためかバスもまだ走っていて、満員で2本ほど見送った後の3本目で乗車できました。

この時の判断が正しかったかどうかいまもわかりませんが、その後ほどなくバスは運休。この時バスに乗っていなかったら、赤ちゃんを抱えて自宅に帰れず、途方に暮れていたでしょう。

自宅に戻ると、壊れているや倒れているものはなく、ホッとしたのを覚えています。

しかし、余震に不安が襲ってきます。「不安だけれども、いま不安を感じている場合じゃない。この子を守らないと!」と、2か月の赤ちゃんを抱きながら、自分を必死に奮い立たせていたのを思い出します。揺れるたび、いつでも避難できるように赤ちゃんを抱き抱えました。

7年経ったいま、赤ちゃんだった子どもは、小学校1年生になりました。雨露しのげる家があること、いま家族で笑っていられることに、感謝します。

亡くなられた方に祈りを捧げます。

いま私にできることを、世の中の妊産婦さんと家族が、少しでも笑顔になれるように、微力ながら、一つひとつ積み上げていきます。

投稿者プロフィール

赤星由美子
赤星由美子
株式会社ソシエタス代表取締役。調理師/食品衛生責任者/出産ドゥーラ・産後ドゥーラ/発酵プロフェッショナル。さまざまな情報を発信していきます。